皆さんこんにちは。胚培養士の川口です。
前回の、受精卵(胚)とヒトの境界線はどこにあるのか?≪前編≫では、2024年2月にアメリカ・アラバマ州の最高裁判所で下された、生殖医療業界にとっては非常に衝撃的な『判決』について解説をしてきました。
≪後編≫となる今回は、引き続きこの判決を受けてアラバマ州でどのような変化があったのか、様々な分野の知見や有識者の見解をご紹介していきたいと思います。 難しい内容ではありますが、わかりやすく解説をしていきますので、是非読み進めてみてください。
クローン羊“ドリー”の誕生
そもそも、『受精卵・胚』と『生命』や『人格』の始まりに関する議論、倫理的な問題、法の規制や解釈が加速するきっかけとなったのが、1996年7月にイギリスで“ドリー”と名付けられたクローン羊の誕生したことです。
クローン羊の“ドリー”については、皆さんもなんとなく名前は聞いたことがあるかと思います。当時は、新聞や雑誌などメディアで大きく取り上げられ、また2年後の1998年には、日本でクローン牛が誕生し注目を集めました。
ではなぜ、“ドリー”の誕生が注目されたのかというと、極めて端的に言えば「両性の関わり無しに子孫を生み出すことを可能にした」ためです。
“ドリー”の誕生には、当時にして新しいクローン技術が用いられており、成熟した羊の体細胞からクローン個体である“ドリー”が生み出されました。つまり、卵子・精子の受精、受精卵・胚の形成という過程を経ることなく、新しい生命を誕生させることができると証明されたのです。
人類のとてもとても長い歴史において、子孫は常に両性の関わりの中で誕生してきました。法律や規則はこの常識に則って制定されており、両性の関わり無しに子孫を誕生させるこという概念そのものが想定されていなかったことから、“ドリー”の誕生は様々な分野において議論を巻き起こす大きな衝撃となりました。 現在でも、その議論は世界中で続けられており、医学や生物学上の側面からだけでなく、倫理、哲学、宗教、文化、法律等の社会的な側面からも、新たな生命倫理のあり方や法の整備などが進められています。
『ヒト』・『生命』・『人格』はいつから始まるのか。有識者の見解は?
胚を胎児とみなすというアラバマ州の最高裁判所の判決について、遺伝学者のリッキー・ルイス教授は、「持続可能なヒトの生命がいつ始まるのかは、事実上の技術的な限界を以て定義されるべきである」と述べています。
これだけだとかなり難しい表現なので、もう少しだけわかりやすく言うと、ルイス教授の理論では、生物の個体がその個体単体で生きることが出来て始めて生命とみなすべきだ、という考え方です。
うーん‥‥これでもまだまだ難しいので例を挙げましょう。
胎児は心臓が動いていても母体を借りなければ発育を維持することはできず、単体で生きることはできませんので、そこには技術的な限界が生じています。
胎児は、産まれることによって始めて単体で生命活動を維持することが出来るようになるため、この時に生命が始まるという解釈です。なんとなく伝わりましたでしょうか?
このことからルイス教授は、胚は単体では生命として存在することは出来ないため、今回の『不法死亡訴訟』には懐疑的な見方をしています。
一方、南カリフォルニア大学の所長であるリチャード・ポールソン教授は、「『生命は受精時に始まる』という概念は、伝統的な宗教の教えに基づいている」と述べています。
ポールソン教授によると、大昔の、聖書ならびに多くの宗教文書の筆者たちは、医学・生物学的な卵子、精子、受精について知る術を持たなかったため、人間の生命は受精から始まるに違いない‥‥という考えに捉われていたとのこと。20世紀の半ばに、生物学的な胚発生を明らかにしても、宗教団体は伝統的な聖書の考えに今なお従っている‥‥という見解を示しています。
また、オーストリア科学アカデミー分子生物工学研究所のニコラス・リブロン博士は、「アラバマ州の判決は、非常に限界的な胚に対する特異な見解に基づいている」と述べています。 リブロン博士は、≪前編≫でも触れた通り「胚は、胎児を形成する可能性のある細胞のグループ」として定義する科学者の一人ですが、「受精卵・胚の定義は、本来であれば胚を科学的に記述することが目的ではなく、むしろ保護することが目的とされるべきであり、法律的な定義や解釈は哲学的、倫理的、社会的、文化的な信念に根ざした、世界中で異なる考慮事項に基づいて作成されることも重要である」という考えを示しています。
胚の廃棄は罪に問われるのか?
「保管されていた凍結胚に、胎児と同じ権利がある」とみなした今回のアラバマ州の判決では、故意または過失を問わず、胚を廃棄した場合に、罪に問われる可能性があるという見方も出てきています。
今回の裁判で訴えられたMobile Infirmary Medical Centerは、意図的に凍結胚を廃棄してしまったわけではありませんが、体外受精治療においては、受精卵の発育が不良であった(凍結や移植の基準を満たしていない)場合には、通常の作業の中で胚の廃棄が行われています。
2019年に、アメリカ生殖医学会が発行する学術誌Fertility and Sterilityに発表された研究では、患者が出産を終えてそれ以上子どもを望まない場合などで患者が移植する予定がないなど、使用不可能な未使用の胚を廃棄する行為について、世界65か国の臨床医から700件以上のアンケートを収集した結果、ほとんどの施設で、このような胚を『医療廃棄物』として処分していると報告しています。
かなり大袈裟なことを言えば、もしも今回の判決の通り、受精卵・胚の段階から『生命』や『人格』が定義されるとすると、一般的な生殖補助医療において行われている胚の廃棄が、将来的に過失致死や殺人に問われる危険にさらされる可能性があります。
さらには、過失にしても故意にしても、胚を扱うことで損失してしまう可能性があるならば、体外受精治療そのものが殺人を助長する可能性のある“未遂行為”であり、体外受精や胚の凍結を禁止とする法律が制定される可能性も出てきます。
そのくらい、今回のアラバマ州最高裁判所の判決は、生殖医療業界にとって非常に“重たい”ものとなっているのです。 実際の裁判では、体外受精治療そのものに対しては言及されなかったものの、アラバマ州のいくつかのIVFクリニックでは、このような法的な問題を鑑みて、医療サービスの提供を一時的に中止している施設も出てきているようです。
胚の廃棄には十分な検討が必要!ファミワンを上手に活用して!
今回のコラムでは、アメリカ・アラバマ州最高裁判所が下した判決を取り上げて、受精卵(胚)とヒトの境界線はどこにあるのか?について≪前編≫・≪後編≫に渡って解説をしてきました。
医学的・生物学的には、受精卵・胚は「胎児を形成する可能性を持つヒト細胞のグループ」であり『細胞』と定義される一方で、両親の遺伝子情報を持つ『生命』、カップルの『児』であると考えることもできます。
・「妊娠、出産できたから残りは手放したい」
・「費用的な問題で保管を維持できない」
・「グレードが低い胚は廃棄したい」
など、様々な理由で胚を手放される方は多々いらっしゃいます。
ですが、胚が『ヒトになる可能性を持つ細胞』であるということを十分に認識した上で、体外受精治療を進められている方、あるいは廃棄を選択されている方は、実際にどのくらいいるでしょうか?
胚を手放す(廃棄する)という選択をされる際には、不安、焦燥、責任、勇気、後悔、罪悪感など、様々な感情が伴うかと思います。
場合によっては、ご夫婦間だけでは意見がまとまらないということも多いかと思います。
そんな時には是非、ファミワンにご相談をいただき、専門の医療従事者の意見も交えながら納得できる選択をしてもらえたらと考えています。
今回のコラムを読んで、生殖医療が抱える倫理的な課題。体外受精を受ける上で知っておいた方が良いこと。『ヒト』・『生命』・『人格』を考えるきっかけにしていただけましたら幸いです。
不妊症看護認定看護師、公認心理師・臨床心理士、胚培養士・NPO法人Fine認定不妊ピア・カウンセラー・キャリアコンサルタント等を中心とした専門家チームがあなたのご相談にお答えします。相談内容は妊活・不妊治療をはじめとした健康課題にまつわること、人間関係やコミュニケーション、キャリアについてなど、どんなことでもご相談いただけます。テキスト相談、または通話相談のご利用が可能です。
▼詳しくはこちら
https://lp.famione.com/