パリオリンピックで話題となった『性別問題』を生殖医療の視点から解説 ~Part.2ヒトの性分化・性決定と性分化疾患;DSD~

皆さんこんにちは。胚培養士の川口 優太郎です。

前回〖パリオリンピックで話題となった『性別問題』を生殖医療の視点から解説 ~Part.1~〗では、パリオリンピックの女子ボクシングについて何が焦点となっているのか?ヒトの性別はどのようにして決まるのか?といったことについて解説をしてきました。

実のところ、このようなアスリートの性別に関する問題は、パリオリンピックだけでは無く過去のオリンピックでも度々取り上げられています。

有名な例では、南アフリカ代表として2012年のロンドンオリンピック、2016年のリオデジャネイロオリンピックの女子800mで2度の金メダルを獲得したキャスター・セメンヤ選手がいます。

セメンヤ選手は、世界陸上出場時の性別検査の結果がマスコミにリークされたことで、一躍クローズアップされることとなりましたが、セメンヤ選手の医学的検査の結果によると、子宮卵巣は無く、体内に精巣様の臓器があり、通常の女性の3倍以上のテストステロン(男性ホルモンの一種)が分泌されていることが報告されており、『性分化疾患(DSD)』を有しているのではないかと報じられています。

2018年に、国際陸上競技連盟(IAAF)が「テストステロン値が高い女性の出場資格を制限する」という内容の新たな規定を発表・導入し、セメンヤ選手と南アフリカ陸上連盟は、同規定の無効を求めてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に訴えを起こしましたが、CASはセメンヤ選手らの訴えを棄却。2020年には、セメンヤ選手の敗訴が確定しています。

性分化疾患(DSD)とは?

~Part.1~でも解説した通り、ヒトの性別は、性染色体に基づいて胎児期に性分化をしていきます。

しかしながら、まれに妊娠中のある時点から胎児の性分化が行われず、生殖器官が正常に発達しないことがあります。このような状態を、医学的な用語で『性分化疾患(Difference of Sex Development;DSD)』と呼びます。

DSDの原因となる因子には、実にさまざまなものがあります。というのも、妊娠中に胎児期の性分化に影響を及ぼすものとしては、子宮内で発達・発生・分化・分泌する遺伝子やホルモン、生殖器官など極めて多岐に渡るためであり、DSDの原因因子となる疾患としては約40~60種類以上も挙げられています。

生物学的な男性・女性を決める際に重要となるのは、Y染色体とSRY遺伝子(Y染色体上の性別決定領域)ですが、DSDのケースでは、遺伝物質の一部が欠損していたり、損傷していたり、変異していたりするなどの理由で、正常なY染色体として機能や形成がなされていないことがあります。

このようなケースでは、身体的には(見た目上では)女性の特徴を有しているものの、身体の中に精巣を持っていたり、思春期以降になるとテストステロンが分泌し始めたりします。テストステロンには、筋肉や骨格の成長を促す働きがあるため、これが女子スポーツ競技における優位性の焦点・論点になるわけです。

また、人為的に男性ホルモン製剤や蛋白同化ステロイドといった薬剤を投与することにより、テストステロンを上昇させることで、筋肉の量と強度を増強させ骨密度を高める方法がありますが、これがいわゆる『ドーピング』と呼ばれる行為です。

生殖医療にも関わりを持つことがある

DSDは、生殖医療の領域においても深い関わりを持つことがあります。

妊娠中の胎児の発育過程で、Y染色体上のSRY遺伝子がなんらかの障害によって正常に機能しなくなると、男性生殖器や外性器の発達が抑制され、外陰部とクリトリスが形成されますが、性分化は性染色体に依存するため、同時に子宮・卵巣といった生殖器官の発達も抑制されることがほとんどです。

このようなケースでは、出生後以降、思春期を迎えても月経は無く、妊娠することもできません。外性器・外陰部の形成が異常になるケースでは、セックスすること自体が難しいという場合もあります。

実際に臨床で報告されている症例として、不妊症を疑われて来院した女性が専門の医療機関に来院し、さまざまな詳しい検査を行ったところ、性染色体がXYを示していたという事例もあります。

また、それぞれの性別に合った典型的な生殖器官・外性器を有していても、性染色体の数的または構造的異常や性腺機能に異常が認められることなどから、医学的にDSDのグループの一つとして考えられている疾患もあります。

代表的なものとして、性染色体がXO(性染色体のXを1つしか持たない女性)を示す「ターナー症候群;Turner syndrome」や、性染色体がXXY(X染色体を2個以上もつ男性)を示す「クラインフェルター症候群;Klinefelter syndrome」などが挙げられます。

クラインフェルター症候群では、複数のX染色体に対してY染色体を持っているため、身体的には男性となりますが、

  • 声変わりが起こらない、体毛・ヒゲ薄い(男性的な特徴が表れない)
  • 女性化乳房が認められる
  • 精巣が一般男性の平均よりも小さい
  • 造精機能がほとんど無い(乏精子症や無精子症が認められる)

といった症状が認められることが多くあり、不妊症を主訴として専門の医療機関を受診した男性が、不妊症のための検査を行って、初めてクラインフェルター症候群であることが発覚するということもしばしば報告されています。

オリンピックは今後どのように変わっていくか?

現時点では、イマネ・ケリフ選手とリン・ユーティン選手に関して、性分化疾患を持っているのかどうか、あるいはドーピング行為があったのかを裏付ける十分な情報が無く、国際ボクシング協会(IBA)の性別適格性検査である(1)テストステロン値、(2)性染色体、のいずれかまたは両方に不合格だったという事実のみが報道されていることも、様々な憶測を呼んでいる要因となっています。

国際的な視点から見ると、文化的・宗教的に、個人の性別や身体についてオープンに話すことが受け入れられていない国も決して少なくありません(※日本もその一つかもしれませんね)。そのため、自分の身体に何か異常なことが起こっていることを理解するための教育を受けていない・受けられないという国もあります。

今回のコラムで解説してきた通り、医学・生物学的な『性別』と、身体的な『性別』、脳の性・性自認を含めた『性別』の定義は極めて複雑です。

「染色体や遺伝子の検査は、最も簡単で侵襲性も最小限であるため、ドーピング検査と同様に全アスリートに対して実施するべきだ!」とする意見もありますが、その検査が人生・人格を否定してしまうような結果となる可能性も十分にあり、精神的なケアも含めて検討が必要となるでしょう。

先述した通り、DSDのパターンによっては、一般的な女性アスリートよりも身体的に優位な特徴を持っていることも指摘されており、男性・女性という二元的なカテゴリーのみに依存するオリンピックにおいて、どのようなルール作りをしていくかは今後もしばらくは議論が続きそうです。

本当の意味で「Games Wide Open(広く開かれた大会)」が行われるのは、何年後のオリンピックになるのでしょうか?現代医学が、異なる性染色体や身体的構造を持つ人々をどのように分類すべきか、明確な見解を示すことができる日はまだまだ先になりそうです。

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