はじめに
皆さんこんにちは。胚培養士の川口 優太郎です。
もうすでに読まれた方もいらっしゃるかもしれませんが、先日、男性不妊と肥満の関係性に関するコラムを書かせていただきました。
言うまでもなく、妊活や不妊治療においては男性側・女性側ともに健康状態の維持・管理は非常に重要です。しかしながら、『妊活は“夫婦2人”で取り組むもの』とは言いながらも、女性側の健康増進や栄養管理に関する記述やキャンペーンはたくさんある一方で、男性側にフォーカスをあてたものは少ないという現状があります。
実際に私のクリニックに通われている患者様の中にも、「私のほうでは何かできることはないでしょうか?」とお聞きになられるご主人様も多くいらっしゃり、このコラムを読んでいる方の中にも、『妊活のために自分も何かをしたいけど、何をしたらいいかわからない‥‥』と感じている方がいるのではないでしょうか?
今回のコラムでは、是非、男性にも前向きに妊活・不妊治療に取り組んでいただくために、健康増進と運動習慣、そして酸化ストレスや精液データへの影響に関するいくつかの学術論文をご紹介しながら解説していきたいと思います。
適度な運動習慣は精液データを改善させる
2022年に、アメリカ整形外科スポーツ医学会が発刊する学術誌であるThe American Journal of Sports Medicine|Sports Health;A Multidisciplinary Approachに掲載されたレビュー論文(※過去に発表された、特定のテーマや同じカテゴリーについての研究を網羅的に集めて要約・解説した論文のこと)の中で、週に3回少なくとも30分の運動を行うことで、男性の精液中の精子濃度(精子の数)と運動性が向上する可能性があると報告されています。
ドイツのJustus-Liebig Universityの研究チームが発表したこの論文では、約400人の男性を対象として、被験者を以下の①~④の4つのグループにランダムに分け、運動習慣が精子濃度や運動性、精子の形態評価などの精液所見に与える影響に関しての比較検討を行いました。
- ①運動負荷無し
- ②週に3回・高強度インターバルトレーニング
(1分間の強負荷ランニングとセッションの間に短い回復期間を置いたセットを10回) - ③週に3回・適度な運動(トレッドミルで30分)
- ④週に3回・激しい運動(トレッドミルで約1時間)
この運動プログラムは、トータル24週間に渡って行われました。全ての被験者は、健康状態が良好で研究開始時点では不妊症の既往は無く、精子濃度や運動性などはWHOの基準値を満たしている一方で、運動指数(METs)が比較的低い運動不足気味の男性が対象となりました。
各グループ間の比較検討の結果、③の週に3回・中等度の運動を行ったグループで、最も精子濃度や運動性の値に向上が見られたことが明らかとなりました。
また、②・③・④の運動プログラムを実施したすべてのグループで、①の運動をしなかったグループと比較して体重の減少が見られました。
激しい運動は逆効果になる?
一方で、②・④のグループでは、一部の被験者において精液量、精子濃度、運動性の低下が見られたことから、過度な運動負荷は精子の生成に悪影響を与える可能性があることも指摘しています。
2017年にカナダの最大の国際科学ジャーナルであるCanadian Science Publishing:Applied Physiology, Nutrition, and Metabolismに発表された別の論文では、長距離マラソンやサイクリングなどの競技スポーツに参加している男性アスリートにおいて、精子濃度や運動性、また精子の質を評価する項目であるDNA Fragmentation Index(精子DNAの損傷の割合を示す値)などの複数の精液所見が低下するケースがあることも報告されています。
長時間に渡って身体に負荷のかかる激しい運動を行うと、体内でエネルギーの産生と消費が短期的に繰り返されるため酸素の摂取量が安静時の約10~15倍に達し、その過程で、『活性酸素』が大量に発生します。
本来、活性酸素は細胞伝達物質として免疫系に関与しており、ウイルスや細菌などの感染を防御する働きがありますが、体内で活性酸素が“過剰”に発生すると、身体の正常な細胞まで酸化・損傷させてしまう酸化ストレスの状態を生じさせます。酸化ストレスは、疲労や筋肉痛のほか、生活習慣病や老化を引き起こす要因の一因となることが知られています。
これらのことから論文の中では、激しい運動によって身体に一定以上の強い負荷がかかり続けると、体内の活性酸素が大幅に増えることで酸化ストレスが発生し、精液所見に影響が出るのではないかと考察されています。
酸化ストレスは不妊リスクを増加させることも
この酸化ストレスについては、2019年に著名な国際生殖医学誌の一つであるJournal of Human Reproductive Sciencesに発表された論文において、男性側の要因によって引き起こされる不妊症との関連性が指摘されており、
- ● 精子濃度の低下
- ● 精子運動率(前進運動性)の低下
- ● 精子DNAの損傷の増加
- ● 反復性の流産および死産のリスク増加
- ● 胎児の遺伝性疾患のリスク増加
などに影響を与える可能性が指摘されています。
精液中の酸化ストレスは、ライフスタイルによる影響を非常に強く受けることが知られており、特に喫煙、飲酒、食事、睡眠といった生活習慣や、放射線や工業用重金属への曝露といった外因性要因などは、ROS(※活性酸素種;活性酸素のうち反応性の高い分子の総称)を増加させ、結果的に男性不妊を引き起こす要因となります。
下記に、酸化ストレスと生活習慣の関係性についてそれぞれの項目を詳しく解説していきます。
【喫煙】
喫煙は、慢性的な炎症反応を引き起こすことで白血球を生殖関連臓器に誘導することで、精液中のROSレベルを大幅に上昇させます。精液中のROSレベルが上昇すると、精子濃度、運動性、正常形態精子を低下させ、さらに精子DNAの損傷も増加させます。
【飲酒】
過度のアルコール摂取は、肝臓のホルモン代謝障害を生じさせることでテストステロンの分泌を抑制し、タンパク質や脂質へと相互的に作用してアセトアルデヒドの生成を増加させることでROSレベルを大幅に上昇させます。テストステロンの低下によって造精機能障害や精漿生成に影響を与え、精液量の減少や精子の形態異常を引き起こします。
【重金属・農薬等化学物質(産業曝露)】
鉛、カドミウム、鉄、銅などの重金属や、フタル酸エステル、農薬、汚染物質などへの産業曝露は、外因性のROSの重要な発生源であると考えられています。これらの物質はNADH(体内のエネルギー代謝に不可欠となる補酵素)の活性を抑制し、造精機能障害や精子DNAの損傷を引き起こします。
運動習慣は継続することが大切!
最初にご紹介した論文では、運動習慣による精液データの向上の効果は極めて“一時的なもの”であったということも報告されています。
被験者は、運動プログラムを終えてから3週間を経過した時点で精液所見が研究開始前のデータに近づいていき、1ヶ月経過以降はほとんどすべての被験者で精液所見が元のデータに戻りました。
つまり、精液データの改善を目指す場合には、日々の生活習慣の中に『運動』をルーティン化し、長く継続していくことが重要であるということです。
また、これらの効果の一部は、体重の減少からももたらされている可能性があることも指摘しています。
先述した通り、②・③・④の運動プログラムを実施したすべてのグループで体重の減少が見られましたが、他の先行研究や冒頭でご紹介したコラムにもあるように、男性の肥満は生殖能力を低下させる可能性があることが数多くの研究論文によって明らかとなっています。
運動習慣をつけることが体重の減少につながり、体重の減少が精液データの向上をもたらしたのではないかということも考察されています。
運動だけでは改善が難しいケースも‥‥
しかしながら、当然、運動だけでは改善が難しいケースというのも存在します。
不妊症の要因は、精子濃度や運動率だけが原因ではなく、さまざまな要因が複雑に組み合わさって起こっている場合が多いためです。
男性不妊の問題は極めて複雑で、実際の臨床においてはライフスタイルを変えるだけでは簡単に解決できない症例が患者様のほとんどを占めます。
例えば、男性側に男性不妊を引き起こす疾患の既往が認められている場合、特に精索静脈瘤といった疾患によって精液所見が影響を受けていれば、治療方法としては外科的な手術しかなく、ライフスタイルの見直しだけでは精液データが改善することはまずありません。
加えて、精液データの改善が、直接的に「生殖能力の向上」につながるかどうかも明らかとなってはいません。精子の数が増えたから——、運動率が上がったから——、というだけでは妊娠が成立するわけではなく、やはり精子側の細胞やDNAなどの“質”の評価も重要になります。
子どもを望んでいるにも関わらず1年以上挙児が得られていない場合や高齢の場合などでは、運動の習慣をつけるだけでは妊娠を目指すことが難しいことも多いため、不妊にお悩みの方では少しでも早く医療機関を受診し、適切に医学の力を借りることも大事になるでしょう。
まとめ
さて、今回のコラムでは、適度な運動習慣が精液データを改善させる可能性についていくつかの論文をご紹介しながら解説を行ってきました。
週に3回・30分程度の適度な運動習慣をつけることは、精子の状態を向上させる最もシンプルで、安価で、簡単に取り組むことが可能で、かつ高いエビデンスのもと効果的な戦略になり得るかもしれません。
また、運動習慣は体重のコントロールにも有効であるため、肥満によって精液所見が影響を受けているケースでは、体重減少によるデータの改善も見込めます。
一方で、そのような効果は何よりも『継続』をしなければ期待する恩恵を受けることは出来ません。そして、身体に過度な負荷をかける運動や、長時間の運動の“やりすぎ”は反対に悪影響を及ぼす可能性もあります。
今回のコラムでご紹介した論文から学ぶ男性妊活に重要な教訓は、《①過ぎたるは猶及ばざるが如し》、そして《②継続は力なり》です。
「妊活に前向きに取り組んでいきたいけれど、何をしたらいいかわからない‥‥」という男性では、まずは①無理のない範囲でほどほどに、②長く続けられること、に意識をしながら、運動の習慣をつけてみることから始めてみるのもよいのではないでしょうか。
ただし、喫煙や飲酒といった習慣がある方については、コラムでも解説した通りですが、ほどほどでは無く「今すぐやめる!」くらいの覚悟を持って妊活に臨むことが大切です!
参考文献
- Oxidative stress and male infertility: current knowledge of pathophysiology and role of antioxidant therapy in disease management, Cellular and Molecular Life Sciences, 2020 Jan;77(1):93-113. Erfaneh Barati, et al.
- The effects of three different exercise modalities on markers of male reproduction in healthy subjects: a randomized controlled trial, Society for Reproduction and Fertility, Volume 153 (2017): Issue 2, Behzad Hajizadeh Maleki, et al.
- Effectiveness of Exercise Training on Male Factor Infertility: A Systematic Review and Network Meta-analysis, Sports Health: A Multidisciplinary Approach, Volume 14 Issue 4, July/August 2022, Behzad Hajizadeh Maleki, et al.
- Role of Oxidative Stress in Male Infertility, Journal of Human Reproductive Sciences 12(1):p 4-18, Jan–Mar 2019. Alahmar Ahmed T, et al.
- Combined aerobic and resistance exercise training for improving reproductive function in infertile men: a randomized controlled trial, Applied Physiology, Nutrition, and Metabolism, 2017 Dec;42(12):1293-1306. Behzad Hajizadeh Maleki, et al.








